北九州帆柱新四国霊場40番札所は茶屋の原にある大日堂です。
最終参拝日 令和4年1月30日
40番札所「大日堂」
所在地 | 〒807-1134 北九州市八幡西区茶屋の原1 |
寺号 | ー |
宗派 | ー |
お寺のご本尊 | ー |
脇侍 | ー |
帆柱霊場のご本尊 | 大日如来 |
ご真言 | おん あびらうんけん ばざら ざとばん |
ご詠歌 | ー |
大師堂の有無 | あり |
弘法大師像 | あり |
開基 | ー |
創建 | ー |
御朱印 | ー |
所在マップ
付近に駐車場なし
写真
修行大師様の像等々
石仏等々
子安観音様等々
その他
文禄元年(一五九二)豊臣秀吉が朝鮮出兵のため佐賀の名護屋城にて徳川家康を待っていた時代。
佐賀に向かう徳川家康が休んだといわれている大日堂だそうだ。
このお堂の阿弥陀様を見た徳川家康がここで念仏を授かりたいと思い、浄土宗の高僧に来てもらった逸話が残る。
僧侶がなかなか捕まらず出兵まじかとなり、準備を整え馬にまたがったときに和尚が大日堂に到着。
念仏を授かるなら馬から降りるよう徳川家康に促すが、ならぬと、馬を降りないので、和尚が岩の上にのり念仏を授けたといわれる地である。
手入れの行き届いた札所で、地元の方々が大切にお祀りしていることがよくわかる。
徳川家康が念仏を授かったといわれる岩が存在する。
念仏を授けたといわれる高僧は穴生の弘善寺の住職であったといわれる。
弘善寺の本堂の天井には昔の籠が飾ってある。
おそらくその籠にのって大日庵に来たのではないかと推測しているのだが詳細はわからず。
下記に九十周年誌の引用を記載しておく
時に文禄元年(一五九二)、豊公征韓の際、徳川家康公肥前名護屋に赴かんとして、暫く此の地に滞留せられけるが、風と此の本尊の尋常仏に非ざを知り帰敬の念厚く、高層に託して一寺建立せしめんと其の人を需められし折柄。信誉存道黒崎区に一宇を建立せむとて、彼に在りしかはえを招かる。然るに信誉、道の側なる石上に立ちて、十念を授けしかば、公より短刀一口与へられ、一寺建立の事を托せらる。信誉の立ちし石は、今堂を立てて大日と崇め祀れり。茶屋ノ原の北官道の側にあり。石高三尺、幅二尺。(遠賀郡誌より転載す)
帆柱山新四國開山九十周年誌 第四十番 大日如来より
外部リンク
境内散策の様子は下記リンク先のブログをご覧ください。
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参考文献・資料等
・「帆柱山新四國開山九十周年誌」
発行日:平成元年 三月 二十二日
発行人:帆柱山新四国霊場本部