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火打石の歴史|徒然日記

火打石の画像

火打石ってご存知ですか?

時代劇などで 出かける主人に「いってらっしゃい」っと背中に「カチカチ!」ってするあれです。

あれは硬い石と鉄を打ち付け火花を出し、その火花で厄除け、旅の安全や仕事はじめの験担ぎとして使われています。

火をおこすというところで言えば、今で言うところのマッチ、ライターみたいなものですね。

では火打石はいつから使われていたのでしょう?

火打石の歴史は古事記から

火打石が最初に出てくるのは、なんと古事記です。

第12代景行天皇の御子、倭建命(やまとたけるのみこと)の統制物語の中に火打石が出てきます。

火打石で難を逃れる倭建命

倭建命は父である景行天皇から、幾度となく危険な遠征に向かわされることを嘆きます。

伊勢神宮に仕えていた叔母、倭比売命(やまとひめのみこと)に相談します。

その際、草那芸剣(くさなぎのたち)と一緒に小さな袋を渡されます。

中に火打石と火打ち金(ひうちがね)が入っていました。

東北遠征の際に、 倭建命は焼津の豪族に火攻めにあいます。

その時、叔母から渡された火打石と火打ち金で迎え火を起こし、難を逃れるというお話しです。

(古事記より)

古事記は712年(和銅5年)奈良時代に天武天皇の命により編成されました。

当時の人々が古い昔のお話しといった古事記です。

日本で火打石が使われたのは、かなり昔のことだったことになりますね。

火打石は御神宝

平安時代、火打石はまだ庶民の手の届かない御神宝でした。

古事記でも火打石は伊勢神宮に仕えている叔母が持っていました。

火打石は主に神社で、神様にお供えされる「神饌」の調理に使用されていました。

火打石や火きり具で起こした火は神聖な火であり、神事に使われていたそうです。

火打石が庶民に普及したのは江戸時代だそうです。

菜種油の普及と一緒に火をつける道具として広まります。

明治に入るとマッチが普及しはじめ、火をつける道具としての火打石の需要は低迷します。

その後は火打石でおこした火には魔よけ厄除けの効果があるとし、

外出時の無事安泰を祈る、仕事や芸事を始める際の験担ぎとして 「切り火」の習慣がはじまります。

切り火とは

「切り火」とは火打石で火花を打ちかけて厄を払うという日本古来の風習です。

火には魔よけの力があるとされています。

特に「切り火」で生まれた火は、清らかな火とされ、邪をはらい浄化すると考えられていました。

切り火のやり方

利き手に火打石を持ち、一方の手に火打鎌を清めたい場所や方向へなるべく水平に向けて持ちます。

火打鎌はあまり動かさず、利き手に持った石の角で火打鎌の縁を削るよう、勢いよく前方に向かって打ち付けます。

すると線香花火のような火花がはじけ飛びます。

この火花を清めたい場所、もの、出かける人の後ろから右肩口に、2~3回カチカチと打ち付けます。

火打石の今

明治以降「切り火」が習慣化すると、 倭建命の統制物語のように、旅の厄難払いお守り験担ぎとして広まります。

火打石は、昔ながらの伝統を重んじる職業の人、芸事、落語家さんや、

危険な業務に従事する人、とび職、大工さんたちには、今でも愛用されているそうです。

伊勢神宮では神様にお供えする火は、今でも火きり具を使っておこしているそうです。

火打石は現在、アウトドアグッズ、防災グッズとして活用されるています。

また、スピリチュアルブームにより浄化、お清めグッズとしても愛されています。

このように火打石は今でも縁起物として色あせることなく現代に残っています。

火打石の画像

私が働いています「馬九」にも火打石を置いております。

購入された宝くじ、車のキーなどに「切り火」で浄化、験を担いで頂けたら幸いです。

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