八幡大空襲の慰霊塔

八幡大空襲の慰霊塔へ【北九州の慰霊碑】

8月はお盆と終戦ですね。

戦災で亡くなった方へ追悼と英霊に感謝をこめて

会社のみんなで北九州の慰霊碑をめぐりました。

令和4年8月13日㈯

八幡大空襲の慰霊塔について

大東亜戦争(第二次世界大戦)の真っただ中の1945年8月8日

福岡県八幡市、現在の北九州八幡東区・西区は大空襲に見舞われました。

小伊藤山公園案内板
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官営八幡製鉄所などの主要施設が置かれた八幡市は、B-29による日本本土空襲をはじめて受けた地です。

最初の空襲は1944年6月16日夜間の空襲。

2回目が1944年8月20日は日中に空襲を受けました。

2回目の空襲被害が少なく済んだのは、別記事で紹介します、二人の勇士による功績が大きいです。

詳細は別記事➩体当たり勇士の碑

3回目の1945年8月8日、このとき八幡は壊滅的被害をうけました。

その戦火に巻き込まれた一般戦災死者のための慰霊塔が八幡東区の小伊藤山公園にあります。

八幡大空襲の慰霊塔


公園の奥に慰霊塔が建てられています。

八幡大空襲の慰霊塔

慰霊塔のそばにある石碑

八幡大空襲の慰霊塔

この地一帯は丘陵地で小伊藤山と呼ばれ、その麓まで家屋が建ち並んでいた。

太平洋戦争となり北から南から、また西から、防空壕が築造された。

昭和二十年八月八日午前十時、米空軍による焼夷弾攻撃で、付近一帯は焼野原となり、この防空壕に避難した人々は、火煙に包まれ全員窒息死した。

その数三百人といはれている。

戦災復興区画整理事業により、この地を公園とし、戦災死者を追悼するため、昭和二十七年慰霊塔を建立した。

献花をし、追悼しました。

小伊藤山公園慰霊塔の石碑より

石碑の記録からもわかるように、かなり多くの方が苦しい最期を迎えられました。

慰霊塔の周りには、折り鶴やお茶、お水がささげられていました。

八幡大空襲の慰霊塔

私たちも追悼の意を込めて、お線香とお花をささげてきました。

八幡大空襲の慰霊塔

公園向かいのロータリーには復興平和記念像があります。

皿倉山では、毎年8月8日とお盆には戦災者のために八文字焼きが行われます。

また、8月15日の夜には八幡仏教会主催で精霊おくりが開催されているようでした。

八幡大空襲の慰霊塔

8月は先人たちやご先祖様をしのぶ時期であります。

それと一緒に、できれば戦没者や戦災者へも祈りをささげてください。

その祈りが故人の癒しとなることでしょう。

ご冥福をお祈り申し上げます。

小伊藤山公園:所在地

〒805-0059
福岡県北九州市八幡東区尾倉2丁目8

付近に駐車場無し

近隣には八幡駅、北九州市立八幡病院、北九州市立八幡図書館があります。

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