北九州市門司区恒見町に鎮座しています、恒見八幡神社。
平安時代から信仰されている神社です。
東側の入り口には武家屋敷門がある、珍しい神社です。
参拝日時:令和8年(2026年)6月11日現在

目次
・ご利益
・ご祭神
・ご由緒
・お祭り
・境内案内
・所在・駐車場
・まとめ
恒見八幡神社のご利益は
武運長久

ご祭神
・応神天皇(おうじんてんのう)(品陀和気命:ほんだわけのみこと)
・神功皇后(じんぐうこうごう)(息長帯比売命:おきながたらしひめのみこと)
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)(帯中日子命:たらしなかひこのみこと)
・仁徳天皇(にんとくてんのう)(大雀命:おおささぎのみこと)
ご由緒・特徴

平安時代初期、第五十三代淳和天皇の御宇、天長元年(八ニ四年)
豊前国恒見城主 安芸入道平道金候が武運長久を祈念して、自ら祭主となり宇佐八幡宮から御分霊を勧請し、此処に奉祀する。
室町時代に至り、豊前国が周防の大内氏の支配となるや、武将門司城代より奉幣がある等、崇敬を受けた。
江戸時代の寛永九年(一六三二年)小笠原忠真候が小倉十五万石の城主となり以来代々当神社を崇敬した。殊に小笠原忠固は文政五年(一八二二年)に神殿を再建した。
昭和十八年(一九四三年)郷社に昇格される。
恒見八幡神社境内看板より
恒見八幡神社の大祭
四月第三土曜日、日曜日(恒見の祇園)
神幸祭:十月十二日、十三日(十二日夜、御神楽奉納)
境内案内
大きな鳥居がお出迎えしてくれます。
道路上に立っているので近隣住民の方の車の往来があります。

本堂から正面の入り口には武家屋敷を思わせる門があります。
ご由緒に恒見城主が勧請したとあり、恒見山にお城があったようなので、城下町にあたる場所だったのかなと推測
でも武家屋敷門って江戸時代ともいわれるし江戸時代になって建てられたのかな?どうなんでしょうね"(-""-)"?

社務所は本殿左手にあります。
社務所に神職さんはいらっしゃいませんでしたが、呼んだら出てきてくれるかもしれません。

手水者が東側の門を入って左手にありました。

。
恒見八幡神社の御朱印
今回の参拝ではいただいてないので、わかりません。
お守り
宝船に馬がのっている絵馬が奉納されていました。

令和8年(2026年)午年に参拝したので、この絵馬なのか、武運の神様が祀られているから馬なのかはわかりませんがかっこいい絵馬です。

末社:恒見五社稲生社
本殿左側にお稲荷さんがいらっしゃいました。

ご祭神

・宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)
・稚産霊神(わくむすびのかみ)
・保食神(うけもちのかみ)
相殿:猿田彦神(さるたひこかみ)・命婦神(みょうぶのかみ)
ご由緒
安政より萬延(江戸時代末期)の頃、火難所々に禍あるを、時の大宮司
峰伯耆守種定大人(みねほうきのかみたねさだうし)いたくも憂え、文久元年辛酉乙日(一八六一年)夜半、
神籤に占問いせられ「以降は五社稲生大明神を古宮地に拝き祀る可し。」
との御宣託を畏み奉り、依って大御霊を翌文久二年壬戌二月五日初午の吉日を選び産土の大神の神域に勧請し奉る。
斯くて後年、一年一度二月五日を期し、庄屋、方頭を始め村中が参詣の上、御祭事を勤るに至る
ー社蔵棟札に承るー
境内看板より

所在・駐車場
〒800-0116
北九州市門司区恒見町3-1
車は南側の大鳥居から境内に入れます。

広くてどこに停めたらいいか迷いました。

写真撮り忘れましたが上記写真の左奥に慰霊碑がありました。
ちょっと小話:武家屋敷門とは

写真のような入り口の門は、お寺の入り口で目にすることが多いのではないでしょうか?
武家屋敷門(ぶけやしきもん)と呼ばれ、江戸時代に大名や旗本と呼ばれる武家が暮らしていたお屋敷の入り口に建てられていた門のことだそうです。
建物の構造や門をくぐる人の身分によって門の形に違いがあるそうです。
代表的なものは
・長屋門(ながやもん)門番や詰所、武家奉公人(使用人さん)の住居や物置に用いられた門
・薬医門(やくいもん)医者の屋敷に用いられた門でしたが、武家や公家にも広く普及したそうです。(身分高めな人たちの門)
・四脚門(よつあしもん)本柱の前後左右に四本の控え柱を立てた格式の高い門。大名(お殿様)などの上級武家屋敷に用いられたそうです。
門には格式もあり、屋敷の主人の身分や石高(こくだか)武士のお給料によって厳格に定められていたそうです。
現在では学校やお寺の山門に移築されることで、貴重な建築物として残り、文化遺産として登録されているものもあるのだそうです。
まとめ
門司区恒見町の恒見八幡神社は、平安時代から続く古い歴史ある神社のようです。
武運長久のために勧請されたご祭神ということで勝負事などの勝ち運にもご利益があるかもしれませんね。
次回参拝時には神職さんからいろいろお話しお伺いできたらと思います。


