ツクシ神舞は「続日本書紀」(731年)に記されている筑紫地方に古くから伝わっている舞で舞の原点と言われているそうです。
毎年宮地嶽神社御遷座記念の祭典時に奉納される貴重な舞の紹介です。
どんなお祭り?
宮地嶽神社は昭和5年(1930年)に旧社殿を50m北東に移動し、現代の社殿を作ったそうです。
神様の場所を遷す(うつす)ことを遷座(せんざ)と言い、神様が今の社殿がある場所に遷られた記念日として毎年10月22日に祭典が行われます。

当日は本殿前に特設舞台が設置され、その舞台で御遷座記念祭が斎行された後、
九州王朝に捧げていたとされる「ツクシ神舞」が奉納されます。
いつ開催している?
毎年10月22日
13時より斎行されます。
見どころは?
ツクシ神舞は7世紀後半から宮地嶽神社で奉納されていたそうですが、大東亜戦争中に途絶えてしまったそうです。それを1983年2月に宮地嶽神社の当時の宮司さんが、復活させようと伝統継承者より直接指導を受けて、今の時代によみがえらせたそうです。

ツクシ神舞は代々口伝で伝えられ、 日本の舞には珍しい独特の動きが特徴なのだそうです。
・跳躍
・回転
・ナバエ:体を傾けて片足状態で体を前後にゆする動き
・ルソン足:蹴るように足先を前に出し、つま先を立ててつき出す
上記のような動きが入るそうです。
当日は演目開始前に境内アナウンスでも説明されるので注目してみましょう。
また神職の舞をツクシ神舞、女性の舞を八乙女舞というそうですよ。

毎年披露される演目が異なるらしい??
ツクシ神舞は全部で20数曲あるそうです。
その中で毎年7演目が披露されるそうなのですが、令和元年は4演目でした。
演目はその年の4月に決めて、10月までの間、神職の方が通常業務の合い間に練習されるそうです。

令和元年は天皇陛下、御即位の礼 正殿の儀が同じ日でしたから演目数が変更されたのかもしれませんね。また、夕陽の祭りの期間でもあり、演目数が変わっているのかもしれませんが、そのへんはまたわかり次第追記していきます。
令和元年の演目は
「ふき」「秋風の辞」「唐衣」「浮神」でした。
当日はパンフレットをもらいましょう
当日は境内入口左手側にて記帳台が設置され、記帳すると舞の説明が書かれたパンフレットを頂くことができます。

パンフレットには披露される演目の解説や歌が載ってます。
九州王朝に捧げられたツクシ舞
宮地嶽神社には地下の正倉院と呼ばれる巨大な石室古墳 (奥之宮不動神社) があります。
6世紀後半の時代では類を見ない国宝が20点も発見されている古墳です。
その昔、北部九州は阿曇族(あずみぞく)の地でした。
阿曇族は海の神である綿津見命(わたつみのみこと)を祖とする氏族で、
古事記や日本書紀に記載がある古代日本の海人族(あまぞく)です。
宮地嶽神社のご祭神も宮地嶽の地を治めていた阿曇族の長であり、古墳にはその長が祀られているそうです。ツクシ神舞はこの古墳内で舞われていたとされる宮廷舞で、今日まで伝承されているそうです。
古墳内で舞われていたツクシ神舞の秘舞「浮神」
「浮神舞」は北部九州や奈良の春日若宮おん祭りで今でも奉納されている「細能舞(さいのうまい)」の原型舞ではないかと言われている舞で、他の舞と違い、歌がありません。
舞の曲は龍の鳴き声と言われる『龍笛』
秋の稲穂が擦れ合う擬音『筅』ささらを本リズムとするそうです。


「浮神」は日本芸能の祖として有名な阿曇族の長、
阿曇磯良(あずみいそら)が舞ったと伝わっているそうです。
阿曇磯良は長く海中に住んでいたため、体中に海藻や貝殻が付着していたそうです。
なので、人前で舞を舞うときは顔に覆面(マスク)をつけて舞ったそうです。

阿曇磯良

浮神は天上神(あまつかみ)が磯良に舞い降りて舞うツクシ神舞の秘舞なのだそうです。

まとめ
ツクシ神舞は、古代宮地嶽を治めていた有力な氏族の長に捧げられていた宮廷舞と考えられています。
7世紀後半という古い時代から口伝で代々伝えられ、伝統継承者から宮地嶽神社宮司さんたちへと、令和元年を迎えた今の御代にまで伝承されています。
年に一度ですが、宮地嶽の地に残る伝統的な舞を見に行かれてはいかがでしょうか。
毎年演目がかわるかもしれないので、数年は通って見るのもよいかもしれませんね。
これからも途絶えず受け継がれていくことを願って。 (*‘ω‘ *)
宗像族、阿曇族に関するマンガ本。宮地嶽古墳の記載もあり。 |